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京都花背 大悲山峰定寺 [京都]

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大悲山峰定寺
 夏の帰省の前にバスで広河原まで行き、そこから佐々里峠を越え芦生を抜けて美山町を訪ねる計画を立てた。だが前日コンパが終わってから仲間と一升瓶を持って鴨川のデルタに行ってさらに飲んで騒いだので、二日酔いでとても朝早く起きることができなかった。それでも三条京阪まで行って数少ない広河原行きのバスに乗りこんだ。バスは鞍馬を過ぎ河原のように石がごろごろ転がっている道を喘ぎながら登り花背峠を越えて小布施まで来たが、そこで僕は計画を断念した。陽は既に南天に高く、到底その日のうちに徒歩で佐々里峠を越えるのは無理だと判断したからだ。大悲山口で降りると桂川の源流に沿って峰定寺に向かった。修験道の古刹があると聞いていたからだ。こんなところにユースホステルがなどと周囲を眺めながら仁王門をくぐり苔むした石段を登るが人の気配が全くなく住職の姿も見えない。聞こえるのは鳥の声ばかり。10分ほど石段を上ると、杉木立の間に懸崖造りの本堂が見えた。幾星霜の風雪に耐えた柱が夏の陽を受けて明るく白い。この山奥を遠く離れた巷では、この年の秋に開催される東京オリンピックで沸き返り、日本は大きく変わろうとしていた。
※修験道は7世紀(飛鳥時代)に役小角が創始したらしい。仏教(密教)の山中修行と日本古来の山岳信仰とが結びついた(神仏習合)ものだ。明治政府は1868年(明治元年)神仏分離令、続いて1873年(明治5年)修験禁止令を発し修験道は禁止されてしまう。戦後GHQの指令で神道国家管理が廃止されるとともに修験道も復活し、市内でも山伏の姿を見ることができるようになった。


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