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京都嵯峨大覚寺 [イラスト]

大覚寺S.jpg

大覚寺

 9世紀初頭に在位した嵯峨天皇の離宮に空海が五大明王を安置する堂を立てたのが起源だというから1200年ほどの歴史ある寺であるが、伽藍の整備が行われ寺としての体裁を整えたのは14世紀初め頃らしい。隣接する大沢の池は離宮造営の際に中国の洞庭湖を模したとされる※1。嵯峨天皇の父は桓武天皇で、平安京への遷都を実行する一方で阪上田村麻呂をして蝦夷の平定を試みたが、平安京造営とこの軍事遠征が人民に過大な負担を強いた※2嵯峨天皇の時代には律令制が崩壊し※3連続する旱魃で財政事情は深刻であったが、藤原冬嗣が辣腕を振いそのつけはすべて人民に回された。
※1 李白や杜甫などの詩や唐で学んだ空海の話から洞庭湖に憬れのだろうが、洞庭湖は琵琶湖の4倍、増水時には関東平野より広いのだからスケールが違う。雨上がりの後洞庭湖の脇にできた水溜りのようなものだ。
※2 805年、藤原緒嗣が菅野真道との徳政論争で「方今天下の苦しむ所は、軍事と造作なり。此の両事を停むれば百姓安んぜん」と言っている。逃亡・浮浪する農民が増え荘園に吸収されていった。
※3 743年の墾田永年私財法で朝廷自ら公地公民制を放棄し、貴族や寺院の土地所有が拡大して荘園が成立していったことはご存知のとおり。



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